奈良漬の由来と名産茨城南部

奈良漬はそもそも奈良が発祥の地で、ルーツについては古く奈良時代に遡ることができます。1988年、奈良朝廷の左大臣長屋王(ながやのおう729没)の邸宅跡から出土した3万点の木管の中に粕漬についての記述木片が発見されました。木片には、ウリ・ナスやミヨウガを酒粕に漬けこみ木箱に入れて進物ように用いられたと記されてあります。当時、貴族階級は酒(どぶろく)と粕漬を嗜む趣があり、粕漬は食物のなかで保存食としてまた、香の物として珍重され高級食品であったことがうかがい知れます。その後、粕漬は奈良に訪れる旅人に食され庶民に広く親しまれるようになり、『奈良漬』して一般的に呼ばれるようになりました。特に江戸時代には、将軍徳川家康は奈良漬を大変好み、江戸屋敷まで奈良の糸屋宗仙(漢方医で奈良漬を造る名人)を呼び寄せ奈良漬の製造御用商人として召し抱え、四季を問わず食膳に香の物として食していたと言われております。一説には『奈良漬』という名になったのは、糸屋宗仙が慶長年間(1596〜1615)に名付けたと言う説もあります。

取手の奈良漬がもう一つの名産地である由縁は、関東平野を流れる利根川水系と夏野菜を育む豊かな土壌にあります。特に茨城県南部は奈良漬の原料である瓜や胡瓜などを栽培するのに適した地域となっており、良質な新鮮な夏野菜が確保しやすい立地にあります。また銘醸地としても知られている石岡や水戸は、関東地方のなかでも屈指の酒どころで、これらの県産酒から産出される副産物の酒粕が芳醇な奈良漬を生み出す元となっております。


新六本店

株式会社 新六本店
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将軍家継の代に、取手に新六住むとある。寛政の頃には酒造業を営み、文政にいたって利根川に廻船問屋に精を出す。粕漬の元になる酒造り、材料を集めるための船運の仕事が、その後の奈良漬造りのために大いに役立つとは・・・

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先々代田中新六、試しに造った奈良漬が意外においしいので、親戚、知人に分けたところ大いにほめられる。気をよくした新六、明治元年にいたって遂に発売しようと決心。屋号もその名の通り「新六」。取手の新六としてたいへん親しまれる。

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その後も日夜、製法を研究練磨しているところ、新六のうわさは村々から近隣の国にまで拡がる。明治33年明治天皇笠間行幸の際、茨城県知事を経て宮内大臣田中光顕閣下より奉献の栄を賜わる。 さらに昭和4年、水戸陸軍特別大演習に、昭和陛下行幸の天覧を賜わり、宮内省より御買上の光栄に浴した。

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大利根の流れが育くむ関東平野。そこにとれる新鮮な野菜を素材に、酒粕やミリン粕のほかは、合成添加物を一切加えず今も木の樽に漬け、土蔵の中に自然にねかせて造る。人手と時間をたっぷりかけた新六の奈良漬の評価は高まるばかり、季節を問わず食膳に欠かせないものとして喜ばれている。


奈良漬の由来

奈良漬 元来の奈良漬の素材は白瓜。それが中国から仏教とともに日本に渡来し、酒の名産・奈良で中国帰りのお坊さんが漬けたのが発祥とされます。つまり奈良漬は、原料の白瓜がよく育ち、良質の酒粕に恵まれた土地の特産物。その点、ここ利根川水系一帯もよい野菜とよい酒の産地。奈良漬の生まれ育つ風土的条件にはぴったりです。

奈良漬は、パリパリでもさくさくでもいけません。あくまでもシャリッと、みずみずしい歯ざわりでなければ。肉質がやわらかく、しかも歯切れがよく…。これが奈良漬の真髄です。 「私が味わって満足できないものは、店に出しません。店に出している製品の味は、すべて私の責任です。生まれたときから奈良漬と一緒に育った私です。いい奈良漬の味を、この舌が知っています。私の第一の務めは、その舌を狂わせないこと。そのためには、何を犠牲にしてもいいと思っています。」



奈良漬のできるまで

土蔵

下漬 関東平野に育った新鮮な瓜・なす・きゅうり・生姜などをよく厳選し、よく洗う。下漬は、簡単に塩だけでせず、 長い間貯蔵してある塩分のきいた粕の入った木の四斗樽に漬け込み、しっかり目張りの封をする
中漬 数ヶ月後、新しい粕に漬け直して、ゆっくり塩分が抜けるよう漬けておく。
樽付上漬 ミリン粕と酒粕を合わせたものに漬けこみ一定期間寝かせる。
特上漬 さらに吟醸粕に漬け直して、まろみのある味と香り、美しい色つやに仕上げる。

 

 

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